東京オリンピックにも欠かせない、『医療通訳』によるおもてなし

2015年2月20日  NETIB-NEWS
 東京オリンピックパラリンピックまで、あと5年。このところ、我が国を訪れる観光客の数は急増傾向にある。2014年末の時点で、我が国を訪問する外国人の数は1,300万人を突破。2020年の東京オリンピックまでには、2,000万人の外国人観光客を呼び込もうと、政府は「ビジット・ジャパン計画」など、積極的な誘致合戦を展開中である。フランスは年間6,000万人を超える観光客を惹きつけているわけで、その3分の1を目指すのは、決して難しい目標ではないはずだ。
 いずれにせよ、今や日本も世界も国境の垣根を越えて、人や物や情報が飛び交う時代になった。まさに「グローバル化時代花盛り」と言えよう。時にはやっかいな“病原菌”が入り込む場合もあるが、日本にとっては今さら鎖国時代に逆戻りできるわけはなく、外国人がもたらす経済、文化的刺激を受け入れる方が、はるかに意味のある選択肢と言える。
 とはいえ、これだけ多くの外国人が日本を訪れるのであるから、彼らが安心して日本滞在を満喫できるような「おもてなし」を提供する必要があることは、論を待たない。
 この点、日本には、世界を納得させる歴史や文化に根差した自然な「おもてなし」の極意には事欠かないだろう。オリンピックに限らず、我が国を訪れる多くの外国人が日本式おもてなしに感動している。海外のテレビやネットでは、そうした日本人があらゆる生活の局面で見せる気配りを盛んに取り上げているほどだ。まさに「クール・ジャパン」は、海外の日本ファンの合言葉になっていると言っても過言ではない。
 実は、日本を訪問する外国人に加え、我が国には現在200万人を超える外国人居住者がいる。また、14年の段階で、いわゆる「技能実習生」の数は16万人を超えている。我が国の進んだ技術や技能を学び、母国に帰った後、日本で身に付けた技術を自国の経済発展のために役立てようとしている人たちのことである。これまでは実習期間が3年を上限とされていたが、受け入れ企業や実習生からの強い要望もあり、15年度から5年間へ延長することが可能となった。
 さらに言えば、我が国の大学で学ぶ留学生の数は今のところ20万人ほどであるが、やはり2020年を目標にこの数を30万人に増やそうという目標を文部科学省では掲げている。
 このように、多様な外国人がさまざまな目的を抱え、我が国を訪れているわけで、日本経済にとっても彼らの存在は欠かせないものとなっている。彼らも日本の「おもてなし」の魅力を海外に情報発信してくれる“宣伝マン”の役割を担っているからだ。
 島国・日本にとっては、異なる文化や宗教、あるいは価値観を持つ外国人の存在は貴重である。日本の歴史や文化をより豊かなものにする国際交流の場が増えるわけで、日本人の内なる国際化を進めるうえでも、大きな財産となる可能性を秘めていることは言うまでもない。
 これだけ多くの外国人が日本で生活を営み、日本式「おもてなし」を日々経験しているのだが、「最大の悩み」とも言われるのが医療の分野でのコミュニケーションである。すなわち、病気や怪我をした場合に、日本の医療機関において必要な意思疎通が十分に行われていないという悩みであり、実際のところ切実な問題となっている。
 病気には国境は存在しない。どんな国の人でも風邪を引いたり、食あたりを経験したりする。また、最近では、日本が誇る最先端の医療技術の恩恵を受けるために、海外の富裕層と言われる人々が相次いで来日ケースも目立ってきた。
 2011年から、日本政府はこうした人々を受け入れるために「医療滞在ビザ」を発給し、通常の観光ビザより長期の滞在あるいは複数の訪日が可能となる体制を組み始めている。そのうえ、経済連携協定が加速するなか、日本で働く外国人看護士の数も増えつつある。安倍政権の下で進められている「第三の矢」の成長戦略にも、そうした医療ツーリズムがしっかりと位置づけられているようだ。
 とはいえ、日常生活においても最先端の医療の現場においても、言葉の壁を乗り越えなければ、日本の誇る安心安全な医療サービスも十分に享受してもらうことができないだろう。現在、訪日観光客や日本在住の外国人にとって最大の不安材料となっているのが、この「言葉の壁」である。安心して日本で病院にかかれない、という声が大きい。東京オリンピックを観戦、応援するために数多くの外国人が日本に足を運んでくれることは、経済的にも望ましいことであるが、彼らをどのように「おもてなし」できるかは、今後の日本の国際的な位置づけにとっても極めて重要な課題であろう。
 大阪大学医学部の付属病院「国際医療センター」は、この分野の先駆的存在である。13年4月に新規設立されて日が浅いが、内外から患者を引き寄せ、大きな注目を集めている。とはいえ、最も神経を使うのが言葉の問題だという。通訳を介しての診断、治療の説明、そして手術同意書などの重要なインフォームドコンセントなど、十分な理解が得られているのか、常に手探り状態が続くとのこと。また、治療費についての理解や診療責任については国情の違いや発想の相違もあり、苦労の連続のようだ。しかし、現場の経験の共有や海外からの医療従事者の研修受け入れ等を通じて、国際医療のパイオニアに地位を固めつつある。
 日本が誇る和食の文化や歴史的な伝統芸能を満喫してもらうためにも、万が一、病気になった場合に、自国の言葉で症状を医師や看護士に伝えることができるかどうかは、大きな問題である。こうした外国人の不安を解消するため、我が国では全国で3,000人近い医療ボランティアと呼ばれる方々が、さまざまな医療の現場で活動している。ある意味では、「言葉の救急車」と位置づけられる人たちに他ならない。
 北海道の「エスニコ」と呼ばれるボランティア団体から、「MIC神奈川」「多文化共生センターきょうと」「伊賀の伝丸(つたまる)」「みのお外国人医療サポートネット」「鳥取県国際交流財団」など、全国各地の自治体が地元NPOなど市民団体と協力し、市民ボランティアとしての医療通訳従事者の育成に取り組んでいる。神奈川県の場合、13年には4,200件を超える医療通訳を派遣した実績を誇る。
 では、どのような言語の通訳が求められているのであろうか――。
 神奈川県の場合には、一番需要が多かったのが1,579件のスペイン語。次いで1,237件の中国語、次が1,225件の英語であった。また、387件のポルトガル語や177件のタガログ語など、多言語の通訳が求められている。国際的な共通言語は英語であろうが、英語の通じない外国人は意外に多いことが、このデータからも読み取れる。多言語通訳の必要性があるわけだ。
 しかし、このような医療通訳に対して、神奈川県が支払っている報奨金は1時間で1,000円、しかも交通費込みという。専門性の高い仕事であり、人の生命にかかわる大切な役割でありながら、報酬面では極めて厳しい状況と言えそうだ。公募を通じて集まってきたボランティアの人たちの好意にすがり、ある意味で過酷な仕事を担わせているのが実態と言えるかもしれない。身分の保障もなければ、万が一、医師と患者の意思の疎通がうまくいかないことによる問題が生じたときの対応等、国際化する日本のなかで医療通訳者の直面する課題は根が深いと思われる。
 神奈川県の場合、現在、登録しているボランティア医療通訳の数は180人。全国の約1割の医療通訳者に当たる。要は、これから外国人の数が増えるにつれ、医療通訳者の需要が高まることは避けられない。にもかかわらず、1,000万人を超えるマーケットに2,000人のサービス提供者というのでは、明らかに人材不足であろう。
 そこで厚生労働省では、2014年度の予算から2億8,500万円を計上し、外国人向けの医療受診の際の説明資料の作成や、医療通訳者の育成のためのカリキュラムを作成、また多言語対応のできる拠点病院を2020年までに全国30カ所整備するための準備に取り組むことになった。14年11月には国際医療通訳の大会が東京で開催された。
 「医療は文化である」との発想の下、市民ボランティアの手を借りながら、日本と世界の文化の橋渡し役を担おうとする動きであり、大いに期待が寄せられている。
 オリンピックは、創設者のクーベルタン男爵に言わせれば、「スポーツと文化と教育の融合」に他ならない。近年は各種競技のスピードを競うあまり、文化や芸術といった面での交流の場としてのオリンピックの色彩が霞んでいた。健全な肉体と精神を追求する機会であるならば、競技に参加する選手だけでなく、選手やサポーターを迎え入れる国民全体にとって、「健康とは何か」を考え、実行する場としてのオリンピックを再構築する時ではなかろうか。2020年の東京大会が、そのきっかけになってほしいものだ。
 我が国では、世界に冠たる国民皆保険制度が機能している。日本人が季節ごとの旬の食材を楽しむという「食文化」と、いつでも誰でもどこでも診療や治療を受けられる「国民皆保険制度」が車の両輪のごとく稼働することによって、我が国は世界でも羨望の的となっている「健康長寿大国」の地位を得ているわけだ。こうした食文化や医療体制といったハードとソフトの資源を世界と共有できるかどうかも、今後の日本の国際的な貢献を探るうえで注目すべきテーマであろう。
 メディカル・ツーリズムの分野ではシンガポール、マレーシア、タイ、インドなどが先行している。日本は遅れてレースに参加するわけだが、その成否を左右するのも、医療通訳の力であろう。医療通訳者も文化と言葉の両方の架け橋として、その制度的発展が期待される。